余分な展示品

 「私の好きな世界の美術館・ベスト3」((株)メタローグ発行)という本の中で、栃木県立美術館学芸員である小勝禮子氏が、

 「絵画や彫刻の美術作品を鑑賞するための特別の空間(何と不自然な空間!)がつくられ、そうしたなかで、かつて収集に情熱を注いだ者たちが新奇な事物に対して抱いた生き生きした好奇心や、新たな発見の喜びが永遠に失われてしまったのではないか。それによって美術館は展示させる芸術の精気を奪い、美術館自身も死に瀕しているのではなかろうか。」(原文のまま)

 と述べていました。

 全く同感です。

 そして、このような美術館にしたいと思い、月によって変更はありますが展示しているのが以下の文物です。

 ただし、これによって、館内からは「格調の高さ」が失われてしまいましたが!

 

 

 

 日本の哲学史家で宗教哲学者の波多野精一博士が、昭和20年に千厩町に疎開し、当美術館の近くにある黒須家に住まいし、戦後もしばらく当地にとどまっていました。

 この度、その黒須家の当主である道哉氏から、「屋根裏部屋から古いトランクが見つかった。波多野先生が使用したものかもしれないが定かではない。ついては、これを寄贈するので末長く展示してもらいたい。」旨のありがたい御申出をいただきました。

 ここに美術館の宝物として「伝 波多野精一博士のトランク」を展示します。なお、下記写真の左がそのトランク、右が黒須家隣地の愛宕児童公園内にある記念碑です。その碑には「生は他者への生であり 他者との交わりにおいてのみ成立する 波多野精一 博士疎開の地を記念して」と刻まれています。

 今は亡き母の実家(一関市藤沢町徳田字桜ノ沢)から特別にいただいた矢立です。

 筆を収めておく部分には緑青が吹いているので銅製かと思われますが、亀を形どった墨入れ部分は鋳物です。

 江戸時代には矢立が必需品だったでしょうが、墨入れの蓋が亀の甲羅細工(残念ながら破損して本体と分離)とは、時代が時代だけに貴重な工芸品ではないかと思います。

 なお、この家には古文書の多くが襖の下張りに使って現存していますので、これも見逃せません。

 館長が物心ついたときに自宅の壁に掛けてあったものです。由来や入手経路等は全くわかりませんが、古い自宅を取り壊した際、捨てずに残して物置小屋にしまっていました。

 おそらく恵比寿大黒の縁起物ではないかと推察するのですが、それにしては着ている布が立派で、絹織物で模っているようにも見受けられます。ある日、これが頭に閃いたので、引っ張り出してきて展示しました。

 NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」が評判になっています。それについて、いつ古本屋から購入したのか不明ですが、竹鶴政孝、リタ夫妻のことを書いた「ヒゲのウヰスキー誕生す」(著者川又一英、昭和57年11月発行、新潮社刊)が書架にあります。内容は夫婦愛とニッカウヰスキーの苦闘物語で面白く読みやすいのですが、この本の中に、「謹呈 ニッカウイスキー株式会社」の献辞の帯と、「謹啓」で始まるニッカウイスキー株式会社取締役社長橋本敬之氏名の献辞文が挟まれていました。誰に贈呈されたのか、そしてどうして処分したのかわかりませんが、古本の中にとんだお宝が眠っていました。

 今から45年程前、カラヤン指揮、ベルリンフィルによる「運命」と「未完成」のレコードがグラムフォンから発売され、購入したものです。価格が1,800円だったため、中学生の身なので少しでも節約しようと千厩から一関まで25キロを歩いて買いに行きました。もっとも、さすがに帰りは歩けませんでしたが。

 集めたレコードは千厩街角資料館にそのほとんどを寄贈しましたが、唯一このレコードとブレンダ・リー(誰も知らないか!?)のLPレコードだけは手元に残しました。

 秋田県能代地方の凧「のっぺらぼう」です。

 能代市に行った際、土産物店で購入しました。間もなく転勤で秋田を離れる時でしたので、何か記念になる物と思って探していたら、これが目に入りました。手作りの凧で、凧絵も製作者自らが描いたものです。値段を聞いてびっくりしましたが、思い切って購入しました。

どうぞご覧ください、このど迫力を!

 ほかに、やはり手作りの津軽凧、橋本禎造作の江戸凧も迫力十分です。

 今は廃船となってしまった日本初の原子力船「むつ」の金属製の模型です。

 全長130M、幅19M、深さ13.2M、総トン数8.350T、原子炉 間接サイクル軽水型、航海速力16.5ノット、原子力燃料2.8トンを積み2年間補給なしで航行できると模型の船底に刻まれています。 

 亡き弟が石川島播磨重工業(現IHI)でこの船の建造に携わっており、その進水式で従事者に配られた記念品です。

 その後、この船は悲惨な末路をたどりましたが、よくぞ両親がこれまで残していたものです。

 館長が今から五十数年前に小学校へ入学する際に購入した服の福引きで当たった「小西六写真機」製の蛇腹のカメラ「コニレッテ」です。今でも写せるのですが、残念ながらフィルムがありません。

 その他、キャノンAFb、ミノルタSRT101、ペンタックスDEJの各一眼レフカメラとコニカC35AF2もあわせて展示しています。

 物心ついたときから我が家にあった「富山の投じんさん」の置き薬箱です。もう何十年も交換にこないので、既に廃業しているのでしょう。旧家屋を解体するとき、どうしても取っておきたいと思った品です。中には薬の入った袋もそのまま残っています。

 昔、入れ替えた薬の匂いが甘美だったことと、紙風船やゴム風船をもらうことがものすごくうれしかったことが思い出されます。

 旧家屋を解体したときに出てきた糸巻き機です。歯車が金属製ではなく、木製であるところが、いかにも東北の農村で生み出された糸巻き機らしいと思われます。

 今から30年前、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩を直筆の手帳から複写した額を賢治記念館から購入したものです。それに、父が所蔵していた賢治研究を特集した昭和22年発行の雑誌「農民芸術」第5集もあわせて展示しました。

 かつて我が家で楽しんだ白黒テレビです。外装が木製で和風調のためか、これまで捨てずに残してきました。

 我が家の生活史の一場面が思い出されます。

 館長が少年時代に夢中になった月刊漫画雑誌に付いてきた別冊付録の数々です。「鉄腕アトム」「鉄人28号」「まぼろし探偵」「ロボットくん」「矢車剣之助」「イナズマくん」「シルバークロス」その他数々をお楽しみください。

 かつて我が家が精米、精麦業を営んでいたときに使用した木製の枡です。

 我が家の歴史を示す品のため、捨てるに捨てられないで展示しました。 

 

 伝説的な月刊コミックマガジン「COM」の1967年の創刊号からのものです。手塚治虫の「火の鳥」や永島慎二、石森章太郎等が懐かしい。

 その他に、当時の虫プロ商事から発行された「アポロンの歌」(昭和46年発行)や「火の鳥」の各編も展示しています。

 さらに、わずか5冊ではありますが、「COM」の対抗雑誌である「ガロ」も展示していますので、お好きな方はお見逃しなく。

 昭和43年製造のソニー製のテープレコーダー「TC-357A」です。昭和51年に所有者からテープとともに購入しました。かなり重いこともあり、その後、未だ一度も使用していません。

 これを持って、所有者の家から気仙沼駅までの30分、千厩駅から我が家までの20分を歩いて運び、腕がちぎれそうになったことは今でも忘れられない思い出です。

 東光堂発行の探偵漫画全集「炎」の創刊号と第2号です。連載された手塚治虫の「ハリケーンZ」はこの創刊号と2号のみで、以後連載中止となりました。(なお、現在発表されている「ハリケーンZ」のスローリーとは違います。)

 貸本では、ほかに三洋社(発行人長井勝一)発行の「黒影」(作者はさいとうたかお、永島慎二、佐藤まさあき)、光映社発行の「影」(作者は手塚治虫、さいとうたかお、水島新司、影丸譲也、佐藤まさあき外)、東京トップ社発行の「刑事(デカ)」(作者はさいとうたかお、永島慎二、佐藤まさあき外)、三洋社発行の「西部アウトロー列伝特集(作者は永島慎二、佃竜二、佐藤まさあき)も展示しています。

 今から二十年前、従兄弟の次男が中学生のときに製作した焼き締めの彫像です。学校の発表会で賞に輝いたということで、自宅に飾っていました。それを無理に譲ってもらい、美術館開館と同時に展示しましたが、先の東日本大震災で棚から落下、粉々に砕けてしまいました。それをなんとかつなぎ合わせて復元しましたが、つないだ箇所が刀傷に見えて、かえってすごみが増しました。

 秋田の骨董店で購入したアルコールランプです。ただし、本体には傘が付いてなかったので、それのみ別の店で入手して合体させました。火事が心配なので点火してはいませんが、芯のみ交換すれば今でも使用可能です。

 青森の骨董店で入手しました。「SEIKOSYA」のゼンマイ式の振り子時計です。当初は時刻を告げる音(ね)があまりに小さかったので欠陥時計だと思っていたところ、振動部分が固定されていたことが分かり、それを外したらきれいな時を知らせる音が出ました。

 もちろん、今も現役です。

 今から二十年前、青森県八戸市の近くの百石町というところのリサイクルショップで、太宰治の「人間失格」と「斜陽」と「惜別」を見つけました。

 その後、弘前市、秋田市、盛岡市内の古書店で19冊の太宰の単行本を入手しましたが、大部分はボロボロの状態です。

 旧家屋にあった、1本の木をくりぬいて作られた茶筒です。だれがどこからどのようにして入手したのかは不明です。格別高価な物ではありませんが、物心ついた時からありましたので、捨てずに残してあります。

 青森県弘前市の古書店で購入した凧です。

 これらがまとまって店の棚に納まっていました。値段が安く、懐かしさのあまり購入しました。おそらく、昭和30年代にどこかの駄菓子屋に置いていたものが売れ残り、建物解体か何かで表れてきたのでこの古書店に引き取られたものと想像しますが、よく今まで無傷で残っていたものです。

 とくと見てください。この著作権を無視したいかがわしい図柄の数々を!

 しかし、それがこの作品の魅力なのです!