その1 熊谷登久平(洋画家)   

その2 白石隆一(洋画家)

 当美術館収蔵作品     油彩画 「鮎」    F6号  

当美術館収蔵作品   油彩画「三陸の魚」  F8号

当美術館収蔵作品   油彩画「一関風景」  F8号

当美術館収蔵作品  水彩画「魚」      色紙

 岩手県立美術館には、この一関市千厩町出身の芸術家3名(熊谷登久平、白石隆一、舞田文雄)の作品が収蔵され、展示されています。しかし、それがこの小さな町にとってどんなにすごいことなのか、あまり認識されていません。

 熊谷登久平氏については、千厩の本町にある生家敷地内に美術館があり、また、魚の画家として高名な白石隆一氏については、地元で作品を所蔵する方が多くいます。また、市役所千厩支所1階ロビーやせんまや街角資料館、市内石堂の飲食店「クラデス」でも常時展示しており、知らない方はほとんどいません。しかし、舞田文雄氏については、全くと言っていいほど千厩では知られていません。

 なお、熊谷登久平、白石隆一の両氏については、岩手県立美術館や一関市博物館、熊谷美術館のホームページ等でご覧いただけますので、ここでのご紹介は割愛させていただきます。

その3 舞田文雄(木版画家)

 舞田文雄氏は、明治37年4月27日、父親が東磐井郡役所に勤めていた関係で千厩町に生まれました。本籍地は盛岡ですが、これは先祖が「舞田屋」という屋号で代々南部藩お抱えの木版摺師だったためです。大正9年に盛岡の下ノ橋高等尋常小学校を卒業後、同年6月には盛岡地方裁判所雇員となり、盛岡地裁書記、同民事首席書記官を経て、昭和15年には大審院(現在の最高裁判所)の書記となります。しかし、昭和21年には依願退職し、同25年には岩手大学学芸学部に入学し、卒業後の同33年には盛岡市立青山小学校の教諭になり、同36年3月に退職します。

 木版画等の作品は大正11年から発表していますが、平成11年に死去するまで本当に多くの作品を制作発表する傍ら、後進の育成にも尽力しています。まさに岩手県における木版画界の草分け的存在と言えるでしょう。

 館長は、尊敬する千厩の同郷人として、また、かつての職場の偉大な先輩として、同氏の作品を収集し、それをこの美術館で展示していくことで千厩の多くの方々にその存在を知っていただくことを念願としていますが、残念ながら収集がかないません。

 収蔵作品

    1 雉(木版画)

    2 鳥(平成3年9月制作・木版画 AP)

    3 原題不詳(色紙に仏を描いた水墨画)

    4 子守り(木版画 EP3/3)

    5 舞田文雄木版賀集(限定100部のうちNO50) 

    6 あさひ橋(木版画) 

    7 背負ぃコ(1998制作・木版画)

    8 秋(平成3年9月制作・木版画 AP)

            9 花祭り(木版画 29/170) 

           10 残雪(木版画 1/10  1961年制作)  

その4 千厩ともゑ(作家)

昭和26年に千厩町小梨で生まれました。

館長と同人は県立千厩高校で同級生でした。当時から氏にはオーラが出ており、文学的能力が抜きん出ていたので、将来は中央に出てその道に進むというのが衆目の一致するところでした。

明治大学文学部を卒業後、やはり出版社勤務を経てフリーの編集者兼ジャーナリスト、執筆活動の他に、テレビ番組の構成などで幅広く活躍したと聞いております。

著書には写真にある「トスカーナ 田園ホテルのめぐみ」の他に、「生きて!ミッセール」、「食は香港に在り」等があります。

まだまだ引退するには早すぎます。最後の団塊の世代にふさわしいご活躍を祈ってやみません。

 

その5 白石公子 (詩人、エッセイスト)

1960年6月15日、千厩町に生まれました。

千厩で起きた金山一揆の際に豊臣秀吉に伊達家の無実を弁明したほか、その功績で伊達政宗から賜った鎧兜(アメリカのニューヨークメトロポリタン美術館所蔵で、国宝級の鎧兜)を賜った白石豊後時直の末裔です。

大妻女子大学国文科を卒業しましたが、在学中に第18回現代詩手帖賞を受賞しています。

出版社勤務を経て詩作、エッセイを執筆しています。また、毎週土曜日に岩手放送ラジオ(「水越かおるのすっぴん土曜日」の午前9時40分頃に電話でレギュラー出演)等で幅広く活躍しています。

館長は未だお会いしたことはありませんが、千厩町観光協会では、千厩の観光資源である奇岩「夫婦岩」にちなみ、毎年「いい夫婦の日、夫へ妻へのメッセージ」を募集して顕彰していますが、白石氏はその選者の任にあたり、地元にも関わっています。

その6 星 亮一(作家)

福島県郡山市に住み、主に幕末の会津藩を舞台にした小説等を発表している星亮一氏が、なぜ千厩に関係しているかというと、館長にとって同氏は千厩中学校の大先輩に当たるからです。

同氏は1935年仙台市に生まれ、父親の転勤で仙台市立愛宕中学校から千厩町立千厩中学校に転校し、卒業後は千厩駅から大船渡線で岩手県立一関第一高校に列車通学しながら学び、やがて東北大学、日本大学大学院修士課程を修了しています。

その後は福島民報記者、福島中央テレビ報道制作局長を経て独立し、現在は堂々歴史作家の道を歩んでいることはご存知の通りです。

どういう縁があって千厩に移り住んだのか、そしてどこにお住まいだったのかは不明ですが、館長としては、間違いなく郷土の作家の一員と思い、誇らしく感じています。

その7 伊藤昌夫(洋画家、岩手大学名誉教授)

 1929年 千厩町小梨に生まれる

 1953年 岩手大学学芸学部卒業、同年5月から同大助手

 1956年 新制作展(東京都)初出品、以後毎年出品

 1970年 新制作展新作家賞受賞

 1974年 岩手大学教授

 1986年 新制作展会員推挙

 1995年 岩手大学退官

 2014年 瑞宝中綬章受章

 現在    盛岡市にある「野の花美術館」で伊藤昌夫絵画教室を主宰

  なお、千厩図書館には、故尾形誠一氏が寄贈された油彩画が展示されています。すばらしい作品なので、どうぞご覧ください。

 2022年8月6日 逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

その8 佐藤真樹(イメージアート作家)

千厩町千厩字西小田に居住しています。

大学を卒業して銀行に勤務した後、両親が営む自動車販売・整備の会社に勤務する傍ら、絵画を創作しています。

その絵画は、強いて言えば草間彌生の作品と同じ系列の属すると思います。しかし、草間作品ほど「刺すようないがらっぽさ」はなく、むしろ心穏やかに、そして楽しみながら鑑賞することができます。心証風景や詩的イメージを絵画に表現していますし、原色を用いて描いた世界は妙に明るく、気持ちを軽やかにしてくれます。

活躍の場は地元での個展やグループ展にとどまらず、東京都内での展示即売会やインターネットによる販売へと広げていて、昨年の夏には「渋谷ヒカリエ」の3周年記念アルバムのジャケットに同人の作品「森の精」が採用されています。今後、益々の活躍が期待される若手作家さんです。

なお、当美術館では、同人の水彩画「ココ・ビーチ」と「女」、アクリル画の「マイクロシステム」、ポスターカラー画の「紫陽花」と「稲光」、アクリル画の「エレクトロン」の6点を収蔵しています。

その9 門間三夫(木工作家・門三工房)

昭和30年4月4日、千厩町千厩に生まれ。

会社勤めの傍ら木工作品の制作に取り組み始めたのが32歳。会社の当時の上司の影響で社内にあった木工制作の会に入会し、制作を始めたのがきっかけとのことです。

東京の秋葉原で糸鋸や轆轤等の工作機械を購入し、以来自宅敷地内に構えた作業場で日々制作に励んでいます。

その作品は種類が豊富で、どれもが精密で精巧に仕上がっています。しかも意表をつく造形の楽しさを味わうことが出来て、きわめて完成度の高い作品となっています。このため、平成12年にはメイク(現ホーマック)主催の手作り大賞展に応募した作品が「ほのぼの賞」を受賞しています。

現在は岡山県美作市にある現代玩具博物館や群馬県館林市にある「きりかぶ」店、陸前高田市の市民の森に同人の作品が展示され、一部販売もしているほか、せんまや酒の蔵交流施設及び作家の自宅でも購入することができます。

平成28年5月以降は木工制作に専念するとのことなので、さらに意欲的な作品の完成が待たれます。

その10 加藤鉄平(美術家)

1987年(昭和62年)生まれ、千厩居住

県立一関第一高等学校卒

中央大学法学部法律学科卒

大阪で商社勤務

病に倒れるも、回復後仙台支社に復帰

数ヶ月で退社後、地元千厩で制作活動

2016年5月 千厩字鳥羽の野外で個展「空と血と」を開催

同   年7月 千厩字本町「ギャラリーひのや」で個展開催

 

 意識して生み出す美と無意識に生み出された美の両方を追い求め、しかもその作品世界は例えば絵画とか写真とかの決まった造形にとどまらず、その感性の赴くままにあらゆるジャンルに拡散しようとしております。

 したがって、今後、同人が続々と生み出す芸術作品には、新たな世界を見ることができる無限の可能性を予感させてくれます。

 下の作品から、そんなことが垣間見えませんか!

その11 金野照夫(彫刻家)

昭和2年、千厩町北丿沢生まれ。死亡年月日不明。

     東京都保谷市(現西東京市)で居住。

 昭和18年 白石隆一、高村光太郎に師事

   24年 新制作派展入賞 以降7回入賞

   27年 水沢カトリック教会後藤寿庵像制

       作千厩駅前 裸婦像制作

   31年 武蔵野美術大学彫刻科卒業

   34年 上智大学 フランシスコ・ザビエ

       ル像制作

       日展入賞 以降数回入賞

   36年 創型会入賞 その他各展入賞多数

   59年 鹿折の浄念寺 双鳩像(創型展

       入賞)制作

       千厩福祉センター 少年少女像制作

   60年 千厩町名誉町民(元日本大理事長)永沢滋氏像制作(一関市役所千厩支所1階ロビーに所在)

 なお、制作年は不明ですが、気仙沼市字松崎柳沢の月光院のアトリエで「鮎貝盛徳」翁銅像制作

 写真の作品は、愛宕児童公園にある「草笛」と題する作品で、千厩ロータリークラブ創立20周年記念として設置されたと銘板に刻まれています。「昭和34年9月9日」の日付も刻銘されていますが、これは作品の制作年月日かもしれません。実に児童公園にふさわしい彫刻作品ではありませんか。

 かつて千厩駅のロータリー広場に設置されていた石膏の裸婦像は所在不明です。ご存知の方はお知らせください。 

右 昭和55年 第29回創型展文部大臣選奨作品「緑樹」 一関市役所千厩支所玄関展示

左 「朝風の象」 旧千厩小学校玄関前広場展示→現在は千厩市民センター広場へ移設